B's Poetry

クリスマスのトラウマ!!?……(2)
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雪国の生まれ故郷に、本格的な冬とクリスマスが近づいていた頃…、俺と家族は、住み慣れた家屋を失った…。

……………………(1)〜つづく

火災の原因は、当時ほとんど寝たきり状態だった祖母による電気コンロの火の不始末だった。

母は、火の手が上がり煙が渦巻く家の中を、手探りで叫びながら祖母を探し回っている間に、いつしか炎は家中を舐めつくし…結局、何ひとつ家財道具を持ち出すこてもできないまま、家族の思い出がつまった我が家を焼き尽くしてしまった。

その時祖母は、歩いて2時間もかかる娘宅を目指して寝巻き姿のままで既に避難していたそうで…、父親は仕事で留守中に、母はまだ母家が炎で燃え盛る最中(さなか)にもかかわらず、出火原因をつきとめるためとかで、「間もなく幼稚園児の息子が帰ってくるから…」と、俺のことが心配で…何度も必死に抵抗したにも関わらず、警察に連行されて長々と取り調べを受けたそ〜だ…、ったく、、オカミの連中には血も涙もないんだよなぁ…。

結局、工場部分は残ったものの、二階建ての大きな家は全焼して…その後、祖母は娘夫婦の家に、俺たち家族4人は、しばらくの間 工場の上の小さな部屋に住むことになった。

まぁ、そんな突然の厳しい状況の中でも、どんな時にも優しく微笑みを絶やさない気丈な母と、決して弱音を吐かない逞しい父と、3つ上の兄と4人で身を寄せあって暮らす日々…、子供心にも家族全員が無事で一緒にいれることが、何よりも嬉しくて幸せだった。

…とは言うものの、あの頃のことを想うと…もう半世紀以上も前のことなのに、やっぱり未だに、なんだか切ない…。。

雪が降りしきる中、新しい家の基礎工事や柱が組み立てられていく様子を…傍らでずっと見ていたことを思い出す。

クリスマスの夜、特大のクリスマスケーキの上で、ロウソクの火が揺れていたことがすご〜く嬉しかった…あの瞬間が目に浮かぶ。

翌日、工場を訪れた近所の人達にケーキの残りを振る舞うことになり、そのケーキを工場の上の部屋から、ど〜しても自分が運ぶとダダをこねた…

工場の上の部屋への階段は、手すりもなくて、巨大なハシゴのよ〜な…、まるで映画「蒲田行進曲」の階段落ちのシーンを思わせるよ〜な長い大階段で…、
当時のケーキの箱は上下フタと底にわかれていて、底に手をあてて持たなければいけないタイプで…、、
大人たちは「落とすから、危ないからやめな…」と止めたのに「大丈夫だから!!」と、その日の俺はど〜しても、そのケーキを運ぶ役を譲らなかった。

大階段の下で俺を見上げる大人たちの心配や不安な気持ちを察してか…ケーキの箱を持ちながら階段を下り始めた時、妙な緊張感でその場の空気が張りつめたのを感じた次の瞬間、俺の手にフタだけを残して…底ブタとケーキは宙を舞い 階段を転げ落ちて工場の床に落下してしまった…。

ぐしゃぐしゃになって砂まみれになってしまったケーキが悲しくて、悔しくて、みすぼらしくて…情けなくて、切なくて、、誰になぐさめられても…その日は、ずっとずっと涙が止まらなかった。

あの砂まみれになったぐしゃぐしゃのクリスマスケーキは、まるで、子供心に…すご〜く心細かったあの日々の象徴的な出来事として俺の心に、深〜く強〜く焼き付いてしまったに違いない。

それが原因で、未だにクリスマスのシーズンになるとなんだか切ない俺なのである…。

どなた様も…
Happy Merry Christmas!!


2016年12月19日
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