B's Poetry

『ブラザー カズを偲ぶ…』still in memory of Bro Kaz…
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中学の頃からのギターアイドル、俺の生涯のギター番長=山岸潤史(以下=山岸さん)を介して、カズ南澤(以下=カズさん)と知り合って、もうどのくらいになるんだろう…。

あの頃、川畑さんのテンプスでも、よく夜が明けるまで六本木で…俺達は皆で、いつも一緒だった。

そしていつも、とにかく楽しかった。

俺達は最初から馬があった。
バブルガム・ブラザーズが大ブレイクする前から、その大所帯のバンドのバンマスを務めていたギタリストで、ミュージシャンとしても大先輩のカズさんのことは知ってはいたが、初めて会った当時から…俺にとって彼は、不思議なくらい親しみを感じさせてくれる存在だった。

ま、今にして思うと、出会った当時、俺は、チキンシャックのメンバーとしても有名だった山岸さんと続木とおるさんがバンマスを務める六本木スワンプ・バンドのリード・ボーカルをやっていたので、カズさんも最大限のリスペクトをして俺に接してくれたんだと思う。

タカ沼沢がバンドを去った後、当時ヒューマン・ソウルと掛け持ちでドラムを叩いていたジミ橋詰も所属していたそのバンドには、
清水 興や八木のぶお といった既に日本を代表するミュージシャン達が在籍していたお陰もあって、大勢の名だたる先輩ミュージシャン達が、俺にも色んな意味で一目を置いてくれたことは、紛れもない事実だ。

バブルガム・ブラザーズを脱退した頃、カズさんは六本木スワンプ・バンドのツワーに同行したりして、俺達は旅の間中…それこそ四六時中一緒に過ごし、正に寝食を共にする間柄になった。

スワンプ・バンドの関西ツワーに合流したある夜、大阪の梅さんがオーナーの(伝説の店)ネストでのかなり深夜のアフターアワーズには、ヒューマン・ソウルのジェイとシルキーも駆けつけて、ジャムセッションは永遠に続いていた。

連夜のギグと酒宴と馬鹿騒ぎ、なぜかいつも超満員の真夜中のシークレット・ライヴと、メンバーズ・オンリーのアフターアワーズのジャムセッション…、さすがに俺もいよいよ精魂尽きた朝方に、ライヴの〆にとギター番長が言った一言を、俺は今でもはっきりと覚えている。

「播東、カズに歌わせよ〜か!?」

山岸さんに促されて、ニコニコしながらしぶしぶステージに上がった彼は、山岸さんのギターを肩にかけてマイクの前に立った。

「播東、オマエがすくすく育ってくれていることが嬉しいよ。じゃ1曲、播東に捧げます…1.2…」

次の瞬間、彼のギターが優しく強く鳴り響き 会場は再び大歓声に包まれた。
そして、やがて彼は俺を指さしながら歌いだした…

「I'm watchin' you…」(オマエを見ているよ…)

その時の身震いするよ〜な感覚と、俺の顔を覗きこんで満面の笑みを浮かべながら(「ど〜やこれ!!?」と言わんばかりの表情で)瞬時にして度肝を抜かれた俺のことを見逃さなかった山岸さんのことまで…、俺はあの夜のことを忘れたことがない。

そのギターも、歌声も、既に紛れもない"本物"だったことに正直、俺は心底打ちのめされていた。
そしてそれ以来、俺はそれまで以上に彼を信頼し、敬愛するよ〜になった。

それから、俺が役者で兄弟分の天宮 良と池上線の上池台に一緒に住んでいた頃、カズさんは長年、隣りの洗足池に暮らしていて、俺達は頻繁に互いのネグラを行き来して交流を深めた。

バンド・オブ・プレジャーのツアーを終えた天下のグルーヴ・マスター、ジェームス・ギャドソンが我が家に滞在した夢のよ〜な10日間にも、カズさんは愛車のSRに股がってよくフラりとやって来て、時には暫し3人だけで過ごすこともあった。
その頃から彼は、俺達のまわりでは唯一のバイリンガルで、彼の完璧な語学力のお陰もあって、俺もギャドソンとの絆をより一層強くすることができたわけだ。

今だから言うが、俺達はある時から、互いに正直であること、常に本音で話すこと、ありのままの自分達でいることを誓い、生涯"ブラザー"の契りを交わした。

忘れもしない、俺の山あり谷ありの…"ソウル描き"としての30数年間の拙い日々で、俺を誰よりも褒めてくれたのも、カズさんだった。

時には途方に暮れそうな俺を、俺の歌を、俺の絵を、そして俺のユーモアを、いつでも真っ直ぐに褒めてくれたり、楽しんでくれたのは彼だった。

実は、俺の欠点も、取り柄も、たぶん両親や実の兄以上に、間違いなくカズさんは俺のことを知っている1人なわけで…、、

ギター番長いわく、「南(沢)の和彦と(播)東の和彦なっ!!」

俺達は何かの縁で巡り会い、互いを受け入れ理解して、やがて友達以上のブラザーになった。
そして、その交流は昨年2014年の12月20日早朝、彼が突然天国に召される時まで途切れることはなかった。

《出会いは奇跡であり、別れは運命である。》

しかし、まさか彼の骨まで拾う運命だったとは…、
一生のうちにそんな人が何人いるのか?

出棺の際にも、いつの間にか棺を収める6名のうちの1人だったことさえ光栄だし、、
とにかく、天命を全うして、遂にお骨になってしまうまで、この関係を貫き、大好きで特別な存在のままでいてくれたカズさんに、心底感謝している。

カズさん、ありがとう。
お陰で、本当に楽しかった…ね。
未だに時々すごく寂しくて哀しくなったりするけど、またきっと逢えるだろ〜し、、
そっちできっと想像を絶するくらい愉快にやってるんだろ〜し…心配してるわけじゃないけど、、
たまには、こっちにいる俺達のことも気にかけてほしいんだ…

ずっと見守っていてね…お願いね!!

thanks a lot and GOD bless

R.I.P. Bro Kaz


2015年02月12日
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